
宮沢りえ、全盛期のヌードがコチラ!V6森田剛もこの頃、抱きたかったよなwww
「レア度」★★★☆☆
宮沢りえとV6森田剛が結婚したので、宮沢りえ全盛期のヌード画像です。画像はリンク先でお楽しみください。結婚、サンタフェ発売の経緯など色々まとめています。ヌード写真集発売は当時、衝撃的でしたね!
⇒【画像】衝撃的なヌードを披露した芸能人「宮沢りえ」「菅野美穂」 あと1人は?
撮影は5月下旬、米ニューメキシコ州のサンタフェで行なわれた。
この時点で発表するかどうかは決まっていなかったが、撮り終えたあとで、篠山から「りえさんの美しさは国の宝です。
だからこの美しさを国民の一人一人が見ないというのは良くない。だから発表しよう」と提案して、世に出すことになったのだとか(『文藝春秋』1991年12月号)。
宮沢からは、写真を1枚ずつ切って額に入れて飾ってもいいような写真集にしたいとの希望があり、篠山としては“芸術写真”というコンセプトで撮影にのぞんだ。
ロケ地となったサンタフェは、近代写真の祖といわれるアルフレッド・スティーグリッツをはじめ、
エドワード・ウェストン、アンセル・アダムズ、ポール・ストランドら「f/64」の面々など多くの写真家が名作を残した、いわば写真の聖地である。
彼らの作品を手本としてきた篠山は、聖なる肉体を、聖なる気持ちで撮るため、この地を選んだのだ(『週刊文春』1991年11月21日号)。
写真集の発売が告知されたのは、1ヵ月前の10月13日付の『読売新聞』の全面広告を通じてだった(翌日には『朝日新聞』にも同じ広告が載る)。
そこでは、宮沢が胸をあらわにした写真が使われ、大きなセンセーションを巻き起こす。
同月21日、彼女はテレビロケから帰国すると篠山とともに成田で会見し、大勢のレポーター相手に堂々と応じてみせた。
そこで「篠山さんは撮影の時、いつもより無口でした」と宮沢から言われ、篠山は初めて自分があがっていたことに気づいたという(『文藝春秋』前掲号)。
『Santa Fe』は予約注文だけで30万部に達した。
累計155万部という発行部数は、いまも写真集では世界記録とされる。
その新聞広告でヌイたって
ガキの使いで松本にバラされてた
トップアイドルがヘアヌードを出した、というのが衝撃だった
しかもヘアヌードもまだ市民権を完全に確立していない時代
おかげで、写真集がバカ売れしてプレミアムが付いたほどだったから
莫大な収入を得た。
女優としてもそれ以後、汚れ役もできるなど芝居の幅も広がった